富永有隣は文政4年(1821年)に吉城郡陶村の毛利藩士富永七郎右衛門の嫡男として生まれました。
藩校明倫館に学び、出仕して配膳役まで進みましたが、生来の頑固な性格が災いし見島に流され、続いての山極に捕らわれました。
折から密航に失敗した吉田松陰が入獄すると、一夜にして知己となり、出獄後は松下村塾の師となりました。
明治維新後に脱退騒動の指導者となりましたが、事敗れて土佐に8年間潜伏しました。
その後捕らわれて東京石川嶋獄に入獄しました。その後、特赦により出獄し、冨永家が移居していた城南瓜迫に帰りました。
近隣の青年に道を説き、明治33年に80歳でその生涯を閉じました。
吉田松陰から贈られた詩が、頌徳碑の台座に刻まれています。