【後井一号墳】

春を迎える小雨と深呼吸が竹林に溶ける中、苔むした参道を登りきったところで、

それはぽっかりと黒い口を開けていました。後井(ごい)古墳です。


ここは山口県田布施町。船が行き来する大切な場所として、古くから人々が生活を営んできた土地です。

後井古墳は、弥生時代からこの地を治めていた熊毛豪族の最後の古墳として、6世紀からここに鎮座しています。

文字がまだない時代に造られた古墳の神秘。そ

の感動をここに文字で残すことに、古墳を知る面白さを感じます。

出会ってしまった古墳の世界

目の前に転がったものを面白がるかどうかで日常が変わる。

今回の古墳の旅では、まさにそんな経験をしました。

正直、私はこれまで古墳には全く興味がなく、田布施町についてもほとんど知りませんでした。

でもライターという仕事を通して、田布施町の古墳のことを書くことになり

取り寄せた田布施町史や、古墳に関する書籍を自宅でめくるうちに、

田布施町に眠る深い歴史にのめり込んでしまいました。

地味でこれまでその存在を気にしたこともなかった古墳の世界に、うっかり落ちてしまったのです。



【参考にした文献の一部。田布施町史は町役場で購入できます。】

90基を超える古墳が点在すると言われている田布施町の住民にとっては、

古墳はあまりにも日常生活に溶け込んでいるのかもしれません。

けれども県外から訪ねた一人の旅人の感動が、

改めてふるさとを知る喜びとしてどなたかに届くなら、こんなに嬉しいことはありません。

 

全部で4つの古墳をめぐった2日間の旅。

田布施町で覗いた古墳の世界は、ものすごいエネルギーをしたためた静寂の中にありました。

その全容を2回の記事に分けてお届けします。

前半の記事では、古墳とは何かについて、田布施町の古墳巡りのポイントなどを中心にお話したいと思います。



古墳とはなにか

古墳って、何の意味があるのでしょうか。

簡単に言えば、かつての重要人物、「首長」のお墓です。

おそらく当時は、死というものが今よりももっと恐れられていたのかもしれません。

人々は亡くなった後も首長の姿かたちを永遠に守り、

その威厳を保ち続けるために、立派なお墓である古墳を造りました。

首長を神格化することで、改めて忠誠を示したのでしょう。

 

それにしても、ひとつの古墳づくりには、約15年、

現代の価値にして800億円もの経費がかけられたという試算もあるというから驚きです。

古墳づくりに捧げられたエネルギーや、

古墳が当時の人々の心にどう作用したのか、私たちには想像することしかできません。

けれども1700年も後に生きる私たちが、

古墳に触れて当時の人々に想いを馳せるということ自体が、奇跡だと私は思うのです。



【古墳内部から。後井古墳にて】

古墳が眠る、田布施町へ

山陽道玖珂インターから一般道を走ること約30分。

春雨の合間を縫った3月初旬のある日、いよいよやってきました。

山口県の東南部に位置する田布施町は、

南側を瀬戸内海に開き、約50平方㎞に1万4千人あまりが暮らすのどかな町です。

岸信介、佐藤榮作の兄弟総理大臣のふるさとであることや、

今でも残る数々の古墳と遺跡が町に風格を残しています。

同時に、中心部の開けた土地には住宅や店舗が、郊外には豊かな土地が広がります。

古い歴史を持ちながら、現代の生活が心地よく営まれている、そんな印象を受ける町でした。

町の職員さんによると、代々受け継がれてきた土地に眠る古墳を、

田布施町民は小学生の頃から学び親しみ、誇りを持っているということでした。

田布施町に古墳が多い理由

弥生時代には、熊毛王国という一大王国が平生湾沿いにあり、田布施町はその要所として栄えました。

今よりも随分高かったとされる海面に沿って、古熊毛水道と呼ばれる重要な海峡があり、

近畿や九州、朝鮮や中国などからの船が多く行き交っていたそうです

繁栄の地であることを示す古墳は、当時の海岸線を見渡せる高台に多く造られ

船でやってきた人達に権力を示したり、あるいは灯台のような役割を果たしたりしたのかもしれません。

【古墳近くの、納蔵地区農村公園からの風景。当時は海が見えていたのかもしれません。】

コンビニの3倍、日常の中に

古墳は全国に約15万基もあると言われ、その数はコンビニの総数の約3倍に匹敵するそうです。

かろうじてその姿をとどめているような古墳も含め、その多くは住宅地や通学路に溶け込んでいます。

そこに住む人の心をゆさぶるというかつての威厳は、もはや失っているのかもしれません。

ただ、このような風景は日本独特のものだそうです。

ピラミッドの隣に民家は似合わないけれど、田布施町のものを含めた古墳の多くは個人所有の庭先に眠っています

地域の方が心を込めて管理して受け継いでこられたからこそ、

今の生活に溶け込んだ17世紀も前の建造物を、私たちは訪れることができるのです。

【民家の庭先に続く古墳への階段】

田布施町での古墳めぐり

田布施町で古墳巡りをするなら、車かタクシーをおすすめします。

「古墳めぐり駐車場」からは後井古墳、国森古墳、石走山古墳、木ノ井山古墳への散策が可能です。

なお、どの古墳も表示案内が控え目なので、道中は心もとないかもしれません。

その分、無事に古墳に辿り着いた時の感動はひとしおです。

そして古墳巡りは、冬が最適です。

草木が鳴りをひそめるお陰で、墳丘の形が際立つだけではなく、

蚊や虫に邪魔されることなく古墳時代のロマンに浸ることができるからです。

【控え目な案内標識】
【馬島の夕焼け】

この旅では、瀬戸内海の沖合に浮かぶ馬島に宿泊しました。

瀬戸内海国立公園に浮かぶ人口約30人の小島には、余計な人工物がありません。

夕日も抜群にきれいでしたが、波音だけが響く漆黒からの夜更けは、

馬島の息遣いが聞こえるかのようで、ただドキドキしたのを覚えています。

馬島で自然と一体化した一晩が、古墳巡りで感じた古代の神秘をますます深めてくれました。

のんびらんど・うましま – 瀬戸内海の小さな島のキャンプ場

 

また、今回の古墳巡りでは、田布施町文化財専門員の荒蒔周平さんにガイドをお願いしました。

茨城県ひたち市出身の荒蒔さんは、大学時代の卒論のテーマが横穴墓(岩をくり抜いてつくるお墓)だったことや、地元で古墳に慣れ親しんできたこともあり、現在は田布施町の職員として町内の古墳を案内したり、

独自に古墳の研究をされたりしています。

 

古墳初心者の私がどんな質問をしても、決して否定や断定をせず、冷静に答えるその静かなお人柄の中に

確かな熱を感じました。

あまりにも豊富な知識に、日本の歴史全般がお好きなのか聞いてみると、

「一番好きな時代は文字資料がない時代です。

文字として資料が残っていないということは、

出土した物から私たちが想像して過去のことを知るということで、

そこに魅力を感じます」とのことでした。

田布施町の深い歴史に身も心も預ける荒蒔さんのお陰で、

古墳巡りがとても濃度の高いものになりました。この度は本当にありがとうございました。

 

【丁寧なガイドをしてくださった荒蒔さん】

今回はここまで。さて、後半の記事では、いよいよ古墳を巡ります。

この記事を書いた人・写真:

きもとなおみ:公務員を経て、インタビューライターに。自動販売機もないような広島県の山里で、3人の子育てをしています。何にでもすぐに感動してしまう子供心と、強い好奇心が特徴です。本が好き。書くのが好き。人が好き。ライターの仕事を通した出会いに敬意を持って、大好きな文章で感動をお届けします。